LOVE 第3夜~Mes Muses

今月はSt.ValentineDayですね!
今回はValentineにちなみ3回にわたって3つの恋のお話をご紹介します。
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Annabel_2 小学生の頃、倉敷にある『大原美術館』である1枚の絵に出会った。太い輪郭線で描かれた痩せた女性。黒髪に意思の強い黒い瞳。子供ながらにこの絵を眺めていると心が痛いような気持ちになった。けれどこの絵が何故か頭を離れなかった。絵を描いた画家はベルナール・ビュッフェ、絵は『アナベルの像』といった。後に絵のモデルは画家の夫人であるアナベル・ビュッフェと知った。
そして、彼女はビュッフェにとって生涯のミューズ(Mes Muses)であり、二人の間に結ばれた深い愛を知ることとなった。

Bernard Buffet(ベルナール・ビュッフェ)Buffet4_3 1928年-1999年
画家。パリ生まれ。不仲な両親の間に育ち幼い頃から友達と交わることもなく孤独な少年時代を過ごす。その後15歳で美術学校『エコール・ボザール』へ入学。学生生活は画家になる為の修練の日々であったと同時に戦時下でもあった。終戦後、最愛の母が病死。1948年『クリティック賞(批評家賞)』受賞しパリ画壇へデビューした。その後ビュッフェはパリの具像画家としての地位を確実にし、版画、挿絵、舞台装置…と様々な仕事を手がける。1958年、アナベル・ド・リュールと結婚する。1971年フランス政府より『レジオン・ドヌール勲賞(シュヴァリエ)』の称号を受ける。1999年パーキンソン病により筆を持つことが出来なくなったビュッフェは自らの命を絶った。(下段絵:ビュッフェ作)Buffet_2

Annabel Buffet(アナベル・ビュッフェ)Annabel2 1928年-2005年
パリ生まれ。裕福なユダヤ人家庭で育つが幼い頃に両親が離婚。母の再婚相手と生活するがアナベルが8歳の時、母は自殺する。その後別れた実父と暮らすが新しい家族とも馴染めず孤独な少女を時代を送る。19歳で家を出、堪能な語学力を活かし翻訳、美貌を活かしモデルの仕事で自活するようになる。そんな折、再び悲劇がアナベルを襲う。実父の自殺であった。両親の自殺と孤独からアナベルは愛や信頼への恐怖を持つようになり、同時に永遠の愛を探し求めるようになったと言う。そんなアナベルは歳を重ねるごとに美貌は増し、1950年代、『パリの華』と謳われるようになる。1958年、ビュッフェと結婚後はビュッフェの絵のモデルとして、ミューズとして、妻、母として生きた。2005年没。(下段絵:ビュッフェの描いたアナベル)
Buffet2

LOVE ~Significant Others(重要な他人)
二人の出会いは1958年の南仏サン・トロペ。二人は初めて会ったはずなのに何故か互いに心を開くことが出来た。ビュッフェは『このまま別れることは出来ない』といい、アナベルもまた『何故これほど激しく結ばれるのだろう、サン・トロペの路地で会うまでは他人でだったのに』…と。後に二人はこう語っている。『お互いをSignificant Others=重要な他人と認めるのに時間はかからなかった』と。
ビュッフェが初めてアナベルを描いたとき彼はアナベルをスツールに座らせ彼女の瞳を見つめ筆を滑らせた。『ベルナールは私の何を見つめているのかしら』出来上がった絵はこれまでの彼女の孤独や苦悩を拭い去った新たなアナベルが描かれていた。その時の肖像画について後にアナベルは語っている。『ベルナールは彼自身のために手元に置きたかったのでしょう。誰にも渡したくない理想の私の姿を…』。ビュッフェもまたアナベルによって変わっていった。それまでのモノトーンの色調から明るい色彩を使い、強く太い直線の画風へと変わった。ビュッフェはこう語っている。
『私にとってアナベルは非常に大きな存在で、ミューズと言ってもよいだろう』と。
41年間の結婚生活で二人が大切にしたものは『互いを愛し、信頼し、尊敬し、尊重し、対等であり、才能を認め合うこと』であったという。
二人の愛はビュッフェの自殺で幕を下ろした。アナベルはこう語っている。『描くことが彼の全てだった。私はベルナールの作品のすべてを愛しています。41年間の愛情と友情は決して消えることはありません。それは彼の遺した思い出と作品が証明しています。~彼の描いた(私の)裸体画を見つめていると、絵の中の私に激励されるのです。彼の遺した絵のおかげで、私はベルナールに愛されていたときの自分を保っていられるのです』と。(下段写真:ビュッフェとアナベル)Buffet3
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2月14日はValentineDay。
愛を告白する日ですね。”チョコレートを食べる日”とも言うけれどhappy01
ビュッフェとアナベルのような『深い愛、尊敬、尊重、対等、才能を認め合う』をパートナーと築くというのはなかなか出来ることではないように思います。
けれど、この内の3つくらい、いや…せめて2つくらいの思いは愛する人に持ち、私も持たれたいなぁって思います。
さて、皆様の2009年、Valentineはどのように過ごされるのでしょうか?
どうぞ、~HAPPY VALENTINE~でありますよーに!

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LOVE 第2夜~トライアングル

今月はSt.ValentineDayですね!
今回はValentineにちなみ3回にわたって3つの恋のお話をご紹介します。
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恋愛は互いに求める2つの心が寄り添い、『愛』が生まれる。しかし、時にその『愛』にもう1つの心が重なることがある。これを俗に三角関係といいシンプルな恋愛を複雑に、そして切なく演出してしまう。今宵は恋愛トライアングルの主人公達のお話をしてみよう。
汚れちまった悲しみに今日も小雪のふりかかる…
上記のフレーズは耳にされた方も多いのではないでしょうか。今回の恋バナの登場人物中原中也の代表作『汚れちまった悲しみに』の一節です。20代という芳しき時期、3人の男女が互いに恋をしました。今回の主役達を簡単にご紹介します。
詩人:中原中也(写真左)、長谷川泰子(写真中央)、評論家:小林秀雄(写真右)
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中原中也 明治40年-昭和12年。詩人、山口県出身。裕福な医師の長男として生まれ、大正12年、立命館中学編入の為京都へ向かう。この時期、高橋新吉の『ダダイスト』に傾倒し詩の世界に興味を持つ。大正14年上京し、本格的に詩人としての道を歩む。小林秀雄、大岡昇平など友人関係を築く。雑誌への詩の掲載、ヴェルレーヌの詩訳掲載等の活動を始める。昭和9年、高村光太郎の装丁で『山羊の歌』が刊行される。また、草野心平、太宰治らと知り触発され、中也の仕事ぶりもますます活動的になった。昭和11年、神経に変調をきし幻聴、幻覚に悩まされる。翌年、千葉の療養所へ入院。昭和13年、30歳にて病死。
主作品:『山羊の歌』『汚れちまった悲しみに』『寒い夜の自画像』『含羞』

長谷川泰子 明治37年-平成5年。広島県出身。広島女学校(現:広島女学院)を卒業後、女優になるため京都へ向かう。劇団『表現座』に所属する。ここで中原中也と出会い、恋愛が芽生える。後、『表現座』が解散し、住む場所を失った泰子は中也と同棲生活を始める。大正14年、中也に連れられ上京。再び女優への夢を志す。中也との生活の中で泰子は少しずつ精神を病んでいき、極度の潔癖症を発症する。この頃小林秀雄に出会い、中也と別れ小林と生活を始める。女優としては大成しなかったが『グレタ・ガルボに似た女』コンクールに応募し、1等入賞という美貌の持ち主だった。昭和11年、石炭商の富豪と結婚。平成5年没。

小林秀雄 明治35-昭和58年。東京都出身。大正14年東京大学仏蘭西文学科に入学。中原中也と出会う。昭和4年『改造』の懸賞評論で2席に入選。以後、『文芸春秋』『中央公論』『読売新聞』と文芸、哲学、芸術の評論を次々に発表。日本の近代評論の確立者と評される。昭和26年『芸術院賞』、『読売文学賞』、昭和33年『野間文芸賞』、昭和42年『文化勲賞』…と数々の栄誉を手にする。昭和58年没。

LOVE
3人が出合ったのは大正14年の東京。中也はここで生涯の親友となる小林と出会う。東京大学に通い、文学者や編集者の知り合いがいた小林は中也に作家や詩人、編集者を紹介した。中也と泰子は東京の居を高円寺に構え、中也は詩を書いた傍から泰子にみせ、時に読み聞かせた。泰子はその詩を聞きながら涙を流して感動したという。そして中也は『僕の詩を理解してくれるのは君だけだ』と泰子を慈しんだ。そんな二人の住まいに小林は時々中也を訪ねてくるようになり…やがて泰子は小林に惹かれ始める。そして小林はある日泰子に『あなたは中原とは思想が合うのだろう、だが僕とは気が合うのだよ、中原と僕とどちらを選ぶ?』そして泰子は中也に『小林さんのところへ行きます』といい、家を出た。三角関係を巡って男同士の友情には亀裂が入り、小林は自著の中で『彼女との出来事が私と中原との間を目茶目茶にした』と記し、恋人と親友に裏切られた中也は『そのため私は嘗ての日の自己統一の平和を失ったのであった。とにかく私は自己を失った!』と記している。が、数年後、泰子が小林と別れると中也は再び泰子を慕い、詩『盲目の秋』に『私の聖母(サンタマリア)!…』と泰子への思いを綴ってる。
この後の3人の奇妙な関係は…
小林とも中也とも別れた泰子が他の男との間に子供が出来ると中也はその名付け親になり、友情にヒビが入ったものの小林は生涯を通して中也の詩に正当な評論をし、中也も死ぬ間際に清書した『在りし日の歌』原稿を小林に託したのだった。中也の死に際して小林はこんな文章を残している。『先日、中原中也が死んだ。天折したが彼は一流の叙情詩人であった』そして中也の故郷山口市湯田に立てられた中也詩碑除幕式に生涯の友人として参列した。

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LOVE 第1夜~君の瞳に乾杯

来月はSt.ValentineDayですね!
今回はValentineにちなみ3回にわたって3つの恋のお話をご紹介します。
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去年もValentineにちなんだ恋のお話を掲載しました。宜しければ『バックナンバー』をご参照ください。

■□ 第1夜 君の瞳に乾杯! Robert CapaIngrid Bergman

Capabergman 写真:両サイド:ロバート・キャパ/写真:中央2枚:イングリッド・バーグマン
Robert Capa(ロバート・キャパ)写真家。1913-1954。ブタペストに生まれる。1931年、政権への反対左翼運動やデモへ参加しハンガリーを追われベルリンへ向う。ジャーナリズムを学ぶためドイツ政治高等専門学校へ入学するが、大恐慌で両親からの仕送りが絶え、大手通信社『デフォト』の雑用兼暗室助手の仕事に就く。やがてドイツではヒットラーが首相となり、ユダヤ人で左翼思想のキャパはウィーンへ向かう。其処でゲルダ・タローと出会い二人はビジネスパートナー兼恋人となった。ゲルダの巧みなプロデュースにより世に名が出始めたキャパは有名雑誌へ写真が掲載され更に脚光を浴びる。(この頃、フランス雑誌『ヴュ(1936年)』へ『崩れ落ちる兵士』が掲載される)1937年、タローはブルネイの戦線を取材中、戦車にひかれ死亡する。傷心のままニューヨークへ渡ったキャパは雑誌『ライフ』の戦争特派員となる。1944年Dデイ、アメリカ軍に同行して、ノルマンディー、オマハ・ビーチの取材はキャパの代表する仕事の1つとなった。1945年、パリに向かったキャパは女優:イングリッド・バーグマンと出会い2年間の恋人生活を送る。1947年、友人のアンリ・カルティエ=ブレッソン、デーヴェッド・シーモア他と共同写真エージェンシー『マグナム』を設立する。
1954年、『ライフ』の依頼によりインドシナ戦争の取材中、地雷を踏み死去。
Ingrid Bergman(イングリッド・バーグマン)女優。1915-1982。スウェーデンに生まれる。1933年、女優を目指し王室演劇学校へ入学。2年後スウェーデン映画の脇役で映画デビュー。1937年、歯科医:リンドストロームと結婚。翌年、長女誕生。1939年、アメリカ敏腕プロデューサー:セルズニックによりハリウッドへ迎えられ、映画『別離』でハリウッドデビュー。以後『カサブランカ』、『誰がために鐘は鳴る』等のヒット作を飛ばし人気、実力ともハリウッドの頂点に立ち、1944年『ガス燈』でアカデミー主演女優賞、オスカーを手にする。しかし、私生活では夫への愛は冷め、仕事へ打ち込む毎日だった。そんな時、写真家ロバート・キャパと出会うが二人の交際は2年で終止符を打った。1949年、ネオレアリズモの旗手:ロベルト・ロッセリーニ監督に敬愛を寄せ、翌年、家族を捨てイタリアのロッセリーニの元へ走る。このスキャンダルが原因となりバーグマンはハリウッドを追放される。同年、元夫との離婚が成立し、ロッセリーニと結婚する。1956年、ロッセリーニと破局し再びハリウッドへ!カムバック第1作『追想』で2度目のアカデミー賞を受賞。1974年、『オリエント急行殺人事件』にて、3度目のオスカー(助演女優賞)を手にする。1982年、癌のため他界。
LOVE
Bergman 写真:左&中央:キャパ撮影のバーグマン/写真:右:二人のツーショット
二人の出会いは1945年、パリ。偶然同じ『リッツホテル』に宿泊していた。これをきっかけに二人の恋が始まる。戦争が終わったこの頃、失業状態のキャパにバーグマンはハリウッドに来てほしいと望んだ。程なくキャパはバーグマンを追ってハリウッドへ。映画のスチール写真を手がける。バーグマンはキャパにハリウッドでキャリアを築いて欲しいと願った。しかし『ハリウッド風』は彼の居場所ではなかった。重ねて、人気絶頂のバーグマンは分刻みのスケジュールで二人でゆっくり会える時間は殆どなかった。キャパは言った『君はどうかしている。これではまるで機械か何かだ。人間らしさを取り戻さなくちゃ。生きるための時間さえないから、人生で味わうべき大切なものが何一つ手に入れられないんだ』と。ハリウッドに嫌気がさしたキャパはニューヨークへ向かった。マンハッタンで二人は毎晩会い、キャパは母親にバーグマンを合わせた。バーグマンはキャパとの結婚を望んでいた。夫との離婚を踏まえて…。しかしキャパは言う。『もし、明日から韓国で取材だ!といわれた時に妻や子供がいては行かれない…だから無理なんだ』と。そして、バーグマンもキャパの心を理解し、恋は終わろうとしていた。バーグマンは友人こう語っている。『彼のおかげで私はずいぶん変わったわ。…けれど、この1章がそろそろ終わりになることは互いに分かっているの。私たちは最後のシャンパンを飲むことになる。こんなに愛しいものを人生から切り離さなければならない。でも私たちは多くのことを学んだわ』と。キャパはこの頃、何通もの愛の手紙をバーグマンへ送っている。が、その手紙は寄せられたファンレターの袋の中に紛れバーグマンが読んだのは随分後のことだった。キャパの手紙は文面の最後に『心から愛している』と締めくくられていた。けれど、歯車の狂った恋は戻ることは無く二人の関係の幕は下りた。

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戦場カメラマンとハリウッドのミューズ…わずか数年の恋物語…。
『Here's looking at you, Kid!(君の瞳に乾杯)』バーグマンの代表作『カサブランカ』の名セリフです。これをキャパが言ったかどうか分かりませんが、別離の時…
バーグマンの潤んだ瞳を見つめたら、思わず言ってしまってたかもしれませんね。
大好きなシャンパンを片手に!

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クリスマスの魔法

来週はもうクリスマス!
今回はクリスマになると思い出すお話、絵や音楽などを集めてみました。

**:::* A story of Christmas *:::**
クリスマスになると思い出す話がある。
それは、1897年『ニューヨーク・サン』紙に寄せられた少女バージニアの投書とサン紙記者の心温まる返答のお話・・・。(以下割愛/抜粋してご紹介します)*~*~*

『こんにちは。新聞のおじさん。私は8歳の女の子です。実は友達がサンタクロースはいないというのです。パパは分からないことがあればサン新聞!と言うので教えてください。サンタクロースはいるのですか?ヴァージニア・アハンロンより』
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『ヴァージニア、それは友達が間違っているよ。サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかがちゃんとあるようにサンタクロースもちゃんといる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごく寂しい世の中になってしまう。無邪気な子供の心も、詩を楽しむ心も、人を好きになる心も全部無くなってしまう。サンタクロースがいないなら、妖精もいないっていうのだろうね。大事なことは、誰も見た人がいないってこと。見ることが出来ない不思議な事って本当の所は誰にも分からないんだ。
でも不思議な世界には、どんな強い人でも、こじ開けることの出来ないカーテンみたいなものがあるんだ。無邪気な心とか、詩を楽しむ心、愛とか人を好きになる心だけが、そのカーテンを開けることができ、綺麗でかっこいい世界を見たり、描いたりすることができるんだ。
サンタクロースはいない?いいや、ずっといつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年経ってもサンタクロースはずっと、子供たちの心をわくわくさせてくれると思うよ。 フランシス・チャーチより』
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サン新聞に寄せられたこの手紙は『Yes,Virginia,There is a Santa Claus』としてサン新聞が無くなるまで50年間、毎年クリスマスに掲載されました。
そして、投稿者であった少女ヴァージニア・オハンロンは教職につきブルックリンの小学校で副校長になったということです。

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**:::* A picture of Christmas *:::**
クリスマスが近づくと『ノーマン・ロックウェル』の画集を引っ張り出す。
ロックウェルの温かみある絵がクリスマスにはぴったりだから…。
Christmas 左から:「Christmas Homecoming」:「Home for Christmas」:「Santa at the Map」
この絵を観るたびにクリスマスは本当に大切な人と過ごすべき日なのだなぁと思ってしまう。家族、恋人、友人・・・心通い合った大切な人と。

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**:::* A movie of Christmas *:::**
クリスマスにぴったりの映画と言えばこの2本。…ロマンティックでメローな恋物語
Christmas1  『媚薬』:出演:キム・ノバック/ジェームス・スチュアート/ジャック・レモン
魔女のジリアン(キム・ノバック)は人間界でクリスマスを過ごす為ニューヨークへ舞い降りる。そこで堅物の男性シェパード(ジェームス・スチュアート)に出会う。ジリアンは悪戯半分で彼にジリアンに惚れてしまう魔法かけるが、次第にジリアン自身もシェパードに恋をしてしまうようになり…罪悪感からシェパードにかけた魔法を解いてしまう。そして魔女は人間に恋をすると魔力を失ってしまう。媚薬が解かれたクリスマスの夜、ジリアンとシェパードの恋の行方は…。

『Love actually』:出演:ヒューグラント/キーナ・ナイトレイ他
クリスマスに19人の男女が繰り広げる9つの恋の物語。この映画が語っていることは、タイトルの通り、愛は実際に周りに溢れている。あなたはそれに気が付いてますか?と。どのエピソードもワクワクしたり、ハラハラしたり、クリスマスの恋物語にぴったりの映画なのだ。

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**:::* A music of Christmas *:::**
クリスマスになると聴きたくなる曲がある。
The Christmas Song
Have Yourself A Merry Little Christmas
White Christmas
What Are You Doing New Year's Eve

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クリスマスには魔法がある。
街の瞬くようなイルミネーションを見上げれば心が躍りクリスマスソングを聴くと気持ちがワクワクしてくる。華やかでいて、おごそかなクリスマスの日・・・。
家族と甘いケーキを食べれば心がホッコリし、恋人達は宿木の下でキスをする。
クリスマスには魔法がある。
そして私は今年もどうやらクリスマスの魔法にかかってしまっているようだ。

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絵の中の女たち

画家がテーマにするモチーフは様々。風景、静物、想像の世界…そして人物。
とりわけ女性をテーマにした絵に私は心惹かれる。
今回はとくに心惹かれるミューズ達をご紹介したい-----

БShe is Ophelia
John Everett Millais(ジョン・エバレット・ミレー)作/Ophelia(オフィーリア)
1952作品/所蔵:テートブリテン(イギリス)
Venus1
オフィーリア-----
シェークスピアの戯曲『ハムレット』のヒロイン。亡き父の復讐のため狂気と化した恋人ハムレットに冷淡にされ、更には実父を殺される。悲しみのあまり正気を失ったオフィーリアはついに溺死してしまう。絵はオフィーリアの死を描いた場面。
初めてこの絵を見たときその美しさに息を呑んだ。そして切なく言いようのない悲しみがこみ上げた。水を吸ったドレスの重みで徐々に湖底へ沈むオフィーリア。私には彼女がまだ微かに息をしているように見えた。けれど彼女は全てのことを受け入れて自ら湖底に沈んでいく。ハムレットへの愛を抱いて。

БShe is Salome
Gustave Moreau(ギュスターブ・モロー)作/Salome(サロメ)
1876年作品/所蔵:ギュスターブ・モロー美術館(フランス)
Venus2
サロメ-----
『新約聖書』の登場人物。ユダヤの王ヘロデの誕生日の宴に王は義娘サロメに踊りを命じた。妖しく美しい少女サロメ。宴に集まった客人はサロメの踊りに魅了される。王はその素晴らしさに『サロメ、褒美にお前の望みはなんでも聞こう。何が欲しいのだ』するとサロメは『洗礼者ヨハネの首を頂きとうございます』と微笑んだ。絵は、まさにヨハネの首がはねられた瞬間の場面。
サロメを知ったのは『オスカー・ワイルド』の小説だった。(挿絵は『ビアズレー』)
耽美でありながら幻想的なオスカー・ワイルドのサロメ。この本を読んだ後、モローの描いたサロメを観たいという思いにかられた。後年モローのサロメと対面したとき、グロテスクな中に静寂と神聖さを感じた。

БShe is Jeanne
Amedeo Modigliani(アメデオ・モディリアーニ)/大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
1918年作品/所蔵:個人
Venus3
ジャンヌ・エビュテルヌ-----
画学生であったジャンヌはモディリアーニと恋におち、彼のモデルとして妻として献身的な愛を捧げる。しかし、酒と結核によりモディリアーニは1920年没する。
モディリアーニの死から2日後、ジャンヌはアパートから身を投げ自殺する。お腹には二人目の子供を身ごもっていた。(右写真は実物のジャンヌ)
モディリアーニの描く人は何故瞳がないのかしら?子供の頃感じた疑問。絵の中のジャンヌの虚ろな眼差しにも瞳はない。けれど私はこの虚空の澄んだ瞳にどうしようもなく吸い込まれてしまうのだ。映画『モディリアーニ~真実の愛』にこんな台詞がある。『本当の君が見えたら、瞳を描こう』モディリアーニはどんな気持ちでジャンヌの瞳を描いたのだろう・・・。

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絵の中の彼女達は物語のヒロインだったり、はるか19世紀の人だったり…
今は昔のお話。けれど絵の中の彼女達は画家によって命を与えられたのかもしれない。永遠の命を・・・。

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Classical in the Cinema

映画音楽・・・映画作品の付属品、またはスパイスのような存在。だが時に映画を盛り上げ、時に作品以上の存在にもなりうる。今回はそんな映画音楽の中からクラッシック音楽が印象的だった3作品をあげてみた。

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♪さよならをもう一度Goodbye Again)1961年公開
Goodbyeagain_2
監督 :アナトール・リトヴァク
出演者:イングリッド・バーグマン、イブ・モンタン、アンソニー・パーキンス
音楽 :ブラームス 交響曲第3番第3楽章(ポコ・アレグレット) 
パリに住むインテリアデザイナーのポーラ(バーグマン)、中年といわれる年齢ではあるが仕事を持ち、自立した大人の女性。彼女には同年代の恋人ロジェ(モンタン)がいる。5年越しの関係だか未だ彼からのプロポーズはない。そんなポーラの日常に25歳の青年シモン(パーキンス)が現れる。若いシモンは情熱のすべてをポーラに注いでくる。ロジェとの静かな落ち着いた愛、シモンの激しく情熱的な愛…フランソワーズ・サガンの苦い大人の恋愛小説『ブラームスはお好き』を映画化した作品。
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この映画は端的に言えば、『メロドラマ』だ。それを切なく美しい恋愛物語に変えたのはバックに流れるブラームスの交響曲第3番第3楽章(ポコ・アレグレット)だと私は思う。甘く切なくときには激しいこのメロディがポーラの揺れる心を表すように響くのだ。

♪ベニスに死すMorte Venezia)1971年公開
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監督 :ルキノ・ヴィスコンティ
出演者:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレンセン
音楽 :マーラー 交響曲第5番第4楽章(アダージェット)
療養旅行でベニスに訪れた作曲家アッシェン・バッハ(ダーク・ボガード)は何か満たされない空虚なもの抱えていた。滞在先のホテルで彼はギリシア彫刻のように美しいポーランドの少年タージオ(ビョルン・アンドレンセン)と出会う。いつしかアッシェン・バッハはタージオの完璧な美に心を奪われてしまう。しかし、タージオはポーランドへ帰国する日が刻々とせまってきた…。
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トーマス・マンの同名小説を巨匠ヴィスコンティが映画化。個人的にはヴィスコンティの映画は格調高過ぎて苦手だが、『ベニスに死す』は何度見ても素晴らしい。少年の貴族的な美しさや主人公の少年へのまなざしをマーラーの交響曲第5番第4楽章(アダージェット)がこれでもか!とばかりに官能的に盛り上げる。こんなにスキのないエロティックな映画はないだろう。

♪仕立て屋の恋Monsieur Hire)1989年公開
Hire
監督 :パトリス・ルコント
出演者:ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネール
音楽 :ブラームス ピアノ四重奏曲第1番第4楽章
洋服の仕立て屋イール(ミシェル・ブラン)は、腕は良いが友達もなく、周囲からは変人扱いされている孤独な男だ。そんな彼の一番の楽しみは向いのアパートに住むアリス(サンドリーヌ・ボネール)を窓越しにひっそりと覗くこと。美しいアリスを窓越しに見る毎日、いつしか彼はアリスを心から愛するようになった。そんなある日、アリスのアパート近くで殺人事件がおきる・・・。
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一言で言うと、悲しすぎる愛の映画だ。映画のテーマは『無償の愛』だろう。無償の愛…見返りを求めずただ相手を愛す。イールは無償の愛をアリスに注ぎ、その結果悲しい結末を迎える。ブラームスのピアノ四重奏曲第1番第4楽章はそんなイールの切ない愛と、男女のミステリアスや危うさを美しく奏でている。

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喜劇役者

『笑い』にも様々なジャンルがあり、演者も様々。落語家、漫才師、コメディアン…そして喜劇役者。『笑い』の世界でも喜劇役者は他の演者達と少し違う気がする。
何が違うのか?人を笑わせるという軸はいずれも同じだろう。ただ喜劇役者には
『ペーソス』がある。笑いの中に混じる哀愁。今回はそんな喜劇役者を語りたい。

Kigekiou1■古川緑波 明治36-昭和36年。昭和5年東京日日新聞の嘱託記者となり映画、レビュー評を書き、ジャーナリストとしての下地を身に付ける。後、菊池寛のすすめで喜劇役者へ転進。松竹の後押しで昭和8年、渡辺篤、サトウ・ハチロー、菊田一夫などを配し『笑いの王国』を旗揚げした。続いて昭和10年の『有楽座』での公演は緑波の名声を一気に広めた。当時の喜劇役者はエノケンを代表するドタバタ劇。動いて走り回って客を笑わせる。が、緑波は動かず、演出、企画力で客をわかせ、エノケンと供に一時代の『喜劇王』として名を残した。
■榎本健一 明治37年-昭和45年。大正11年浅草オペラに憧れ柳田貞一の弟子となる。昭和4年『カジノ・フォーリー』を旗揚げする。エノケン自伝によるとカジノ・フォーリーの舞台は浅草オペラをベースにしたレビューとマック・セネットのドタバタ喜劇を取り入れた新しい笑いだったという。この成功をきっかけに以後、数々の舞台、映画へ出演する。エノケン喜劇の特徴はとにかく『動く・走る・飛ぶ』と体を使ったものだった。しかし晩年は病から義足を余儀なくされ皮肉にも持ち味の『動き』を続けることは出来なくなった。
■チャールズ・チャップリン 明治22年-昭和52年。両親の離婚、貧困生活、母親の精神病…などでチャップリンは幼いころから家計を支えるため様々な職業を転々としながら俳優になる夢を抱いた。12歳で地方芝居の子役として舞台に立ち、後にイギリスの人気劇団『ルノー』に入団する。1912年海外公演でアメリカへ渡り、映画の世界へ進出する。短編のドタバタ喜劇から、山高帽にステッキ姿の浮浪者チャーリーの『キッド』『街の灯』を制作し映画界での成功を手に入れた。しかし第二次世界大戦後、アメリカでは『赤狩り』の気運が高まりチャップリンは共産主義者としてアメリカを追放される。晩年はこれまでの偉業が改めて認められ1972年チャップリンを追放したハリウッドは『アカデミー特別功労賞』を彼に贈った。
Kigekiou3_2 ■渥美清 昭和3年-平成8年。昭和26年浅草『フランス座』の舞台に立ち、以後『夢で逢いましょう』等のテレビ出演が始まる。喜劇役者として大成後生涯の当たり役となる『男はつらいよ』の『車寅次郎』の役をつかむ。
■森繁久弥 大正2年生。昭和11年古川緑波劇団に入団。昭和14年NHKにアナウンサーとして入社し満州放送局へ転属。引き上げ後、新宿の『ムーラン・ルージュ』の舞台に立ち脚光を浴びた森繁はテレビ界から声がかかる。後、映画にも進出し『三等重役』、『社長シリーズ』とヒット作が続く。昭和30年映画『夫婦善哉』をきっかけに喜劇役者から本格俳優へ転進した。
■藤山寛美 昭和4年-平成2年。関西新派の家に生まれ、4歳で初舞台。昭和26年『桂春団冶』の舞台での阿呆な丁稚役で脚光を浴びる。以後、『阿呆役』を定番とし大阪新喜劇の頂点となる。
■三木のり平 大正13年-平成11年。大学卒業後、『三木鶏朗グループ』に入る。『東宝ミュージカル』で活躍後、森繁の『社長シリーズ』『駅前シリーズ』の宴会好きの営業部長役で脚光を浴びた。後年は味のある脇役として数々の映画に出演した。また、CM『ごはんですよ』のナレーションはあまりにも有名だ。
■由利徹 大正10年-平成11年。戦時中は『ムーラン・ルージュ』、戦後は『新宿セントラル』『フランス座』でストリップの前座として舞台に上がり、昭和31年『脱線トリオ』を結成。テレビ、映画に進出後も前座時代の下品でエロな芸風は健在!また、パントマイムで演じる女形の裁縫芸は逸品だ。

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私はここに挙げた喜劇役者たちの全盛期を知らない。生の舞台も(もちろんだが)見たことはない。ビデオ、DVDなど映像での姿のみだ。もし彼らが活躍した時代に生き、ナマの舞台を見られたらどんなに良いだろう!小劇場で毎夜繰り広げられる喜劇芝居!エノケンは舞台の端から端まで駆け回り、緑波のアチャラカに森繁お得意のインチキなインテリも登場し、『花街の母』の曲がかかれば由利徹の登場だ。想像するだけも楽しく、嬉しく、そしてちょっぴり哀愁の香る舞台。
そんな芝居小屋があったなら・・・。

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